権限がないものに関して悩んだらどうするのがいいんだろう
責任とか権限とかそういうので悩む人とても多い
例えば中高生が「今の教育の○○がまずいんじゃないか」と考えるとか
新入社員が「仕事教わる身で生意気かもしれないけど、これはもっと良くできるんじゃないか?」と思うとか
これだけ書くと「そう言ったらいいじゃん」という結論にしかならないんだけど、だいたい
- 生意気なことを言うと…
- 自分の知らない事情があるのかも
- 批判ばかりする人と思われたくない
- 言って変わらなかった時がっかりしたくないから言わない
とかいろいろの理由で飲み込んじゃう人が結構多い気がする(特に日本人は)
- 責任とか権限とかそういうので悩む人とても多い
- 権限がないとか、詳しく知らないとかの場合に意見するべきではないか?
- そもそも人間の脳は意見を言わずにいれるように作られていない
- そうできるように、心理的安全性が大事
権限がないとか、詳しく知らないとかの場合に意見するべきではないか?
私はほとんどの問題、課題において、多様な意見が集まることは良いことだと思っているので、気になったことは発言すればいいし聞けばいいと思っている。
それに、それらについて権限を持っている人というのは同時に責任を負っているはずで(説明責任も、改善責任も)。「今のままでいい」と思考停止になって改善を行わないのであれば責任放棄だし、むしろ多様な意見を歓迎するべき立場だとも思う。
だいたいの場合において、権限のある人というのは上の立場に立つ人であると思うが、通常立場的に下から上に意見を言うというのはやりにくいものだと思うので、できるだけ言いやすい環境を作るとか、自分から吸い上げにいく、といった工夫をすることも、上の立場の人間には求められることだと思う
そもそも人間の脳は意見を言わずにいれるように作られていない
例えば、「アイスクリームのことは考えないで下さい」という文章を読んだ時に、アイスクリームを頭に浮かべてしまうのが人間の脳である。思考はコントロールできないのだ。
「こうしたらいいのに」というような思考も、コントロールできない。
そう思うような場面を目撃すれば、自動的に思考が発生して意見が出来上がってしまうのが人間の脳の作り。出来上がってしまったものは処理しなければ溜まってしまって精神衛生的にもよろしくない。
思ってしまったことは、どこかで吐き出した方がいいのだから、健全な意見であれば何も気にせず言っちゃった方がいいのだ
そうできるように、心理的安全性が大事
そういうの、なるべく気にせず発言できるように、普段から心理的安全性を確保しておく、信頼関係をつくっておくというのが上の立場の人間には求められるんだと思う
逆に言えば、そういう意見が全然集まらないようなら、うまくいってるように見えたとしても「大丈夫かな?」って疑ってみるというぐらいでちょうどいいのかもしれない