テキトウ組織論・KYチーム開発

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アダム・カヘン「敵とのコラボレーション」を読んだ

アダム・カヘンという凄い人

アダム・カヘンは「対話」推しの人として有名で、「手ごわい問題は、対話で解決する」という本も書いたりしている人だったらしいが、この「敵とのコラボレーション」では「対話(ダイアログ)では十分ではない」と書いていて、これは結構衝撃的な発表だったらしい。

アダム・カヘンは南アフリカの民族和解を推進したり、コロンビアの内戦終結に関与したりしていて、どちらも非常に興味深く意味深いものだと思う。これらの取り組みがどのように進んだのかの一端を垣間見れるというだけでも、この本を読む意味があるだろうと思う

デスティノ・コロンビア

特にコロンビアのエピソードは興味深い。

コロンビア内戦は未だ完全な終結には至っていないようではある (コロンビア内戦和平合意後のニュース)が、半世紀以上続いた内戦に関して和平合意にまで至ったという。

その取り組みの最初の取り組みとも言えるものがアダム・カヘンも参加したデスティノ・コロンビアというものだったという。

ボゴタで会合を開くのだが、参加メンバーは

互いに殺し合っていた人たちが集まっているという状況だったらしい。

まさに敵とのコラボレーション。詳しくは書籍に譲るが、活動を通してメンバーは互いにびくびくしなくなり、ざっくばらんに話すようになったという。そして単刀直入な異議を唱えることができるようになったとき、四つのシナリオ(放っておいて混乱する、政府とゲリラが交渉により妥協、ゲリラを軍事的に鎮圧、相互尊重と協力)が見えてくる。

このシナリオを各団体はそのまま報道したり提示したりしたらしい。一部のシナリオは、ある団体にとっては到底合意できないものだったと思うが、意見が大きく食い違っていても、それに関して合意する必要はなくて、違いをそのままにしてコラボレーションする、というようなイメージだろう。

この会合のあと20年以上経って、和平合意が成功した。ノーベル平和賞を受賞したサントス大統領は、このデスティノ・コロンビアの会合を「コロンビアの平和の追求において最も意義深い出来事の一つ」とコメントしたという。

ストレッチ・コラボレーション

アダム・カヘンの「敵とのコラボレーション」では「ストレッチ・コラボレーション」という方式を推している。

これは従来型コラボレーションとは異なっている。従来型コラボレーションの特徴は

  • 焦点・目標・計画はコントロール可能
  • これらをコントロールすることが目標への到達につながる
  • 計画を実行するための各自の行動もコントロール可能

というもの。

ストレッチ・コラボレーションはこの前提に立たない。コントロールという幻想を捨て去る。

三つのストレッチ

ストレッチの内容は章の名前になっている。

  • 対立とつながりを受容する
  • 進むべき道を実験する
  • ゲームに足を踏み入れる

それぞれ少しずつ補足すると

対立とつながりを受容する

全員の利害が一致していて、考え方も一致しているような状況であれば、「つながり」だけでよい。合意形成してつながり、一丸となって前に進む、それでいい。

だが、利害や考え方が衝突する場面では?

「対立」も受容する必要がある。全体は一つではない。そういう場合、関わること、認めることと主張すること、戦うことのバランスが重要だという。「愛」と「力」とも表現されている。

進むべき道を実験する

単純な状況、予測が簡単な状況なら、計画を立てて、それに沿って進めばいい。

しかし、複雑でコントロールできない状況では?

一歩進んでは起きていることを観察、検証するといったやり方が必要になってくる。メンバーも、やれと言われたことをやっていれば済むような状況ではない。ストレッチ・コラボレーションでは合意よりも行動が大きな意味を持つ。

ゲームに足を踏み入れる

これは傍観者ではいられない、他責している場合ではない、うまいこと言ってるだけでは始まらない、というような話だ。

「あの人たちが変わらなければならない!」というモードから脱出しなければ、ストレッチはできないということ。演出家でも観客でもなく、共創者として舞台に上がる必要がある。

身近なところでのストレッチ・コラボレーション

ストレッチ・コラボレーションの原則は上記のようなもの。これを読むと、決して内戦とか麻薬問題のような社会的問題だけに当てはまるものではないと思えてくる。

実際私もこの本を読んで、職場での主張が足りなかったとか、計画や設計にばかり気を取られていたなとか、傍観者になってしまう瞬間があったなとかいった気づきを得た。

気づきを得るだけで終わりにせずに、行動も変化させられるようにしていきたいものだ。