対話と心理的安全性について
対話と対話でないコミュニケーションの差
「コミュニケーションの量ではなく質が大事」
というような話を職場でしていて
それってどういうコミュニケーションなんだろうと考えるなどしている。
個人的にはコミュニケーションは量もやっぱり大事とは思うのだけど
でももちろん質も気をつけないといけないというのは思っていて
それがもしかしたら、対話になっているコミュニケーションなのか、そうでないのかの差なのかもしれない
対話とはどんなコミュニケーションなのか
字面だけ見ると、『対』ってあるので多分、双方向だったりそういうことなのかなーと思うのだけど
対話型組織開発とかだと、「ダイアローグ」が対話と書いてあった気がするので、「ダイアローグ」をググってみた
https://www.kaonavi.jp/dictionary/dialogue/
カオナビさんのサイトに、
ダイアローグとは対話や対談という意味ですが、組織におけるコミュニケーションのあり方を考えた時のダイアローグは、情報のやりとりにとどまらず、話す側、聞く側がお互いに理解を深め、行動や意識を変化させるような創造的なコミュニケーションを指します。
と書いてありました。
『理解を深め』
というのがキモなのかなーと感じました。
特に仕事としての組織の中でのコミュニケーションって、業務連絡だったり報連相みたいなコミュニケーションに閉じがちな気がするんですが
そういうのだけでなくて、互いに理解を深められるようなコミュニケーションが大事、って事じゃないでしょうか
うん、これもやっぱり雑談に繋がる気がします!
ホームとしての対話が促される環境
「弱さを見せあえる組織が何故強いのか」という本に、『ホーム』という概念が出てくるんですが
このホームという環境は、自分の弱さを見せ合っても、否定されているとか非難されているとか感じることのない
いわゆる心理的安全性が高い環境という感じです。
これ、対話がちゃんとできていてお互いの理解が深められている状態っていう言い換えができるんじゃないかなって思うんですよね
そもそも自分の深いところを理解してもらうって、心理的なハードルがあると思うんですよ
何かの本で、職場の自分と本来の自分に乖離が出来てしまうと働くことが辛くなりがち、みたいな記述があったんですが
でも割と職場ってそうなってしまいがちだし、日本での旧来の価値観って職場とプライベートは適切に分けるべき、みたいなとこあると思うので
そこを超えないと本来の意味での『対話』って成り立たないので、やはりホームが必要、って感じになるのかなと
この『対話を促す場としてのホーム』が実現できると、『行動や意識を変化させるような創造的なコミュニケーション』が生まれ、結果として組織の生産性が上がっていくのではないかな、と。
そうなるとやっぱり雑談とか、雑談を生みやすいような場のプロデュースみたいなものも、マネージャーの仕事になってきたりするんじゃないかな?
みたいなことを最近考えています。