「フロー体験」について
自動車の運転とフロー体験
フロー体験の定義は、だいたい以下のようなもので
- 自分の能力に対して適切な難易度のものに取り組んでいる
- 対象への自己統制感がある
- 直接的なフィードバックがある
- 集中を妨げる外乱がシャットアウトされている
これが満たされた条件下だと、集中と高揚感が得られるとのことらしいです。
ある時自動車を運転していて、それまで考えていたモヤモヤしたものがスーッと消えて、
脳が楽になるような感覚になったことがあって、
この本で読んだことを思い出しました
その時の様子(コントロールとフローの関係)
自分のその時の感覚をメモに残してあったのでここにも記載してみようと思います
今日は途中の駅から車で帰ったのだけど 車運転してたら脳の疲れがとれた なんでだろうと考えた結果 今日の脳の疲れは自分がコントロールできないものごとがいくつか出てきたことによるものだと気づいた うまく言えないけど、 ものごとを自分がある程度コントロールできていると思える時はいいんだけど 難しい領域が出てきて、これはコントロールできるのか…?って感じると脳がストレスを感じるらしい これを克服するにはどうしたらいいんだろ? ・コントロールしてくれそうな人に頼る ・コントロールできるようになるよう修行する ・コントロールできない状況を楽しめるようになる ・コントロールできそうな別の視点から眺める ・コントロールできるところにだけ注力して後は天に任せる(人事を尽くして天命を待つ) 思いつくのはこれくらい。 なんかこうやって眺めてみると、修行するのだけ大幅なタイムラグが発生するなあ 視点を変えるとか、天命を待つとかはちょっと逃げのように見えるけど、意外とこれって筋のいい考え方なんじゃないかと感じるな… ものごとをコントロールできてると感じられる状況って≒フロー状態だから ちょっとくらい逃げっぽくても自分をフロー状態に持ってっちゃった方が良いアウトプットが出てくる気が。(チクセントミハイのフロー体験読んでそう思った) 車を運転するということが、車を自分でコントロールできてるという状況だからフロー状態に入って、脳のストレスがとれたんだろうという考察から。
多分、現時点では「2.対象への自己統制感がある」あたりに関して
まだまだ課題があるというのが「これはコントロールできるのか…?」という感覚として出てきたのだろうと。
フロー体験を読んで感じたこと
書籍には、社会的状況によってもフロー体験が阻害されたりすると書いてあって興味深かった。
フロー体験を困難にする社会的条件は「アノミー」(何が心理的エネルギーを注ぎ込むのに値するかが不明瞭になる)と「疎外」(明らかに望ましいと思われるものに心理的エネルギーを注ぎ込めないこと)
— kypm (@yutakobayashi) 2019年1月21日
アノミーは経済の崩壊とか、社会の急速繁栄で倹約とか厳しい労働のような古い規範が意味をもたなくなったりするときに現れる
— kypm (@yutakobayashi) 2019年1月21日
疎外は強制的な単純労働とか、社会主義国で配給に並ばされ続けるとかそういう時に現れる
— kypm (@yutakobayashi) 2019年1月21日
特に「アノミー」なんて知らない言葉だったので面白かった。
あとはやはり企業人としてはどうやって自分の組織や会社をフロー体験をうめる場にできるのかというのに興味がわくわけだけど
『ある共同体が良い共同体とされるのは、それが技術的に進んでいるから、または物質的豊かさに浸り切っているからではない。人々にできる限り多くの楽しみの機会を提供し、人々がたえず増大する挑戦を追求することによって、その可能性を発達させる共同体が良い共同体なのである』
— kypm (@yutakobayashi) 2019年1月21日
『まず個々人の意識が変わるまで、社会変化は起こり得ない。
— kypm (@yutakobayashi) 2019年1月21日
ー中略ー
カーライルは「自分自身を変革せよ。そうすれば世の中に悪者はいなくなる」と答えた
ー中略ー
自分自身の生活をまず統制することを学ばずに人々の生活を良くしようとする者は、ものごとをすべての面で悪くするのが常である。』
この辺の話で、やっぱり意識、価値観について考えるべきだろうなと考えたりしました。
ちなみに最近「ガンプラフルネスだ!」とかいって職場でみんなでガンプラ作ったりしてて、それもフロー体験だねって話したりしています